大仁田厚 チャボゲレロ について書いてみました。チャボ・ゲレロは、 1970年代から日本でも活躍したアメリカのプロレスラーです。
大仁田厚(おおにたあつし)、藤波辰爾(ふじなみ たつみ)らと死闘を演じたプロレスラーのチャボ・ゲレロ
チャボ・ゲレロ(シニア)のプロフィール
リングネーム: チャボ・ゲレロ/チャボ・クラシック/ゴリー・ゲレロ・ジュニア
本名: サルバドール・ゲレロ・ジャネス
生年月日:1949年1月7日(68歳)
ニックネーム: 小さな巨人/カリフォルニアの太陽
身長 :180cm
体重 :103kg(全盛時)
出身地 : アメリカ合衆国 エルパソ郡エル・パソ
トレーナー ゴリー・ゲレロ
デビュー: 1970年
引退 :2007年
チャボ・ゲレロ(シニア)の経歴
チャボ・ゲレロは、高校の体育教師を経て、1970年に地元のエル・パソをサーキット・エリアとするテキサス西部のアマリロ地区にてプロfレスラーとしてデビュー、当初はゴリー・ゲレロ・ジュニア(Gori Guerrero Jr.)をリングネームでしたが、その後チャボ・ゲレロ(Chavo Guerrero)に改名、
数々の前座試合でキャリアを積み、1974年には若手時代のスタン・ハンセンともタッグを組んでいます。
日本へは1975年7月、アマリロ地区とのブッキング・ルートで全日本プロレスに初来日。1978年6月からは新日本プロレスの常連外国人選手となり、ジュニアヘビー級戦線において藤波辰巳との抗争を繰り広げていました。
1980年4月での来日は『第3回MSGシリーズ』の決勝リーグに進出し、「アンドレ・ザ・ジャイアント」、「スタン・ハンセン」、「ダスティ・ローデス」などスーパーヘビー級の選手とも対戦しています。
1980年10月3日、新日本プロレスのリングで木村健吾からNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級タイトルマッチ戦で王座を奪取。その後アメリカで防衛戦を行い、1981年2月27日にテキサス州ヒューストンでジノ・ヘルナンデスに王座を奪われますが、5月22日に奪還しています。
そして同1981年8月よりチャンピオンとして全日本プロレスに移籍しますが、1982年3月7日、ノースカロライナ州シャーロットにて大仁田厚に敗れ陥落[。1983年、大仁田厚の負傷によるタイトル返上後、5月26日のトーナメント決勝でウルトラセブンを下して王座に返り咲き、翌1984年2月26日にマイティ井上に敗れるまでチャンピオンとして君臨していました。
その後はいったん帰国し、アメリカ南部を転戦しています1が、1990年代は、日本へ再来日、プロレス団体、SWSやWAR、無我ワールド・プロレスリングなどに参戦します。
1990年代後半より現役を一時引退していましたが、2004年になってチャボ・クラシック(Chavo Classic)と名乗りWWEのスマックダウンに登場。これはそれまでタッグを結成していたエディ・ゲレロと息子のチャボ・ゲレロ・ジュニアの「ロス・ゲレロス」解散後の抗争ストーリーに絡んでの登場で、
息子側についてエディと抗争します。試合にも時折出場し、2004年5月20日にはチャボ・ジュニア&スパイク・ダッドリーとの3Wayマッチを制してWWEクルーザー級王座を奪取、WWEには同2004年6月まで出場、
2007年4月には無我ワールド・プロレスリングが主催した『チャボ・ゲレロ日本引退シリーズ』に来日、藤波辰爾(ふじなみたつみ)との久々の対戦が実現、その後
2016年8月26日、ディファ有明で行われたファイヤープロレスの旗揚げ戦に来日し、かつてのライバル大仁田厚とタッグを組んで「ノーロープ有刺鉄線&バリケードボードストリートファイトデスマッチ」に出場しました。