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小西博之 現在について

小西博之 現在について書いてみました。小西博之(こにし ひろゆき)さんは、現在も俳優で、萩本金一さんが育てた「欽ちゃんファミリー」の一員でした。

 

俳優・小西博之が明かした現在・・・ガンからの生還と克服!

 

小西博之プロフィール

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本名:小西 博之(こにし ひろゆき)

愛称:コニタン

生年月日:1959年9月28日(57歳)

身長:180cm

体重:78kg

出生地:和歌山県、田辺市

血液型:A型

趣味:料理、パソコン、釣り、ガーデニング、サイクリング

特技:ボクシング、ゴルフ、スキー、野球、乗馬、合気道

職業:俳優

所属:スタークコーポレーション

公式サイト:小西博之-公式プロフィール

http://www.stork.co.jp/t_konishi.html

 

来歴その他について

和歌山県立田辺商業高等学校卒業後、中京大学へ進学、大学では演劇部に所属し、デビューは、中京大学在学中に出演した中京テレビのローカルバラエティ番組『ジョークドキュメントBBS放送局』で、

 

理科教育番組のパロディコーナーの先生役でしたがその人気ぶりは、当時中京地域で放送された、紳士服販売「名紳」のCMでそのまたパロディが作られるほどだったと言います。


この活躍でその後、TBS系列で放送されたバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日
』のレギュラーとして抜擢され、「欽ちゃんファミリー」の一環として人気を博す
ことになり、同番組内でレギュラーだった、故、清水由貴子と『銀座の雨の物語』をデュエットしこれが大ヒット。

 

2004年の夏ごろから血尿が出るようになり、年末に精密検査を受けたところ、全

身に転移する恐れのある腎臓癌が発見され2005年の2月、リンパを切除するなど

の大手術を行いましたが、奇跡的に現在は仕事を行えるまで回復しており、

 

東京サイクリング協会主催の「東京シティサイクリング」にも毎年ゲストとして参加、またがん闘病から復帰後の現在は、その経験を語る講演活動を各地で行っています。

 

 

”人生は夕方から楽しくなる”

末期がんから生還、現在は命の授業を年100回

体が大きい分、腫瘍もデカかった。長さは約20センチで、日本の腎臓ガンの症例の中でも5本の指に入る特大サイズだと言われました」と小西博之(こにし ひろゆき)さん。「末期の腎臓ガン」と診断されたのは2005年1月。その予兆は約3カ月前からあったといいます。

 

「まったく食欲が湧かない。ビールを飲んでも味がしないんです。ダイエットをしていたので、体重が減ってもそれほど気にしなかったのですが、2004年12月23日に宿泊していた京都のホテルで血尿が出たんです。この時点でもう、うすうすガンだとわかっていましたね」と小西さん。

 

2005年の明けに精密検査を受けたところ、ドクターは腎臓ガンの大きさに目をみはり、ガンの「ステージ」を尋ねる小西さんにドクターは「ステージでは言い表せない。いつ即死してもおかしくない」と即答したそうです。

 

 

すでに肺や膵臓に転移している可能性は高く、腎臓ガンに圧迫された脾臓がパンパンに膨れ上がっていました。もし横腹をどこかにぶつけたら、脾臓が破裂して死んでしまう危険な状態だったそうです。まさに「即死レベル」のガンを自覚し、恐怖にさいなまれた小西さんは、

 

「死にたくない! 死にたくない!」こう叫びながら自宅で暴れることもあったそうで、「風呂に入って泣いたこともあります。涙を出し尽くしてヘトヘトになるまでね。でも、そうすることで気持ちを落ち着かせて、いちばん小さいサイズの缶ビールに口をつけると、無味だったビールも少しはおいしく感じられ、不思議とよく眠れました。入院までの日課にしていましたね・・・」

 

そんな小西さんの心の支えになったのが、師匠である萩本欽一さん(74)の教えでした。

 

「幸せも不幸も全て自分の思い込み。例えば宝くじで100万円当たって、それを幸運と思うのか、組違いで1等の1億円を逃して悔しいと感じるのか、要は捉え方なんですね」

 

実は以前から小西さんは、「突発性難聴」で耳鳴りに悩まされており、そこである名医に診てもらったところ、「キミの耳には誰の耳にもいないかわいい鈴虫が2匹いるよ」と言われ、深い感銘を受けたそうです。

 

 

「それまで煩わしいと思っていた耳鳴りも鈴虫だと思えばなんてことはない。欽ちゃんの教えと鈴虫の話があったから、ガンを受け入れることができたんです。ガンは神様からの贈り物。元気になって患者さんを勇気づける役割が、私に与えられたと思えたのです」と小西さん。

 

 

小西さんがイメージしたのは、完治後にテレビ出演する自分の姿。隣に思い描いたのは、85年から「ザ・ベストテン」(TBS系)で、ともに司会を務めた黒柳徹子さん(82)でした。

 

 

「絶対に『徹子の部屋』に出て、治るまでの体験談を話そうと決めたんです。番組で何を話そうか、どこで笑いを取ろうか、そんなことばかり考えていました」

 

 

 2005年2月16日に行われたオペでは、左脇腹にVの字形にメスが入れられ、腫瘍で巨大化した左腎臓を摘出するため、肋骨を2本も切断する大手術だったそうで

「麻酔が切れてからは死ぬほどの激痛に見舞われましたが、それも2日間だけでした」

と言います。

 

 

手術から9日後には退院。仕事にも復帰し、その年2005年7月にはイメージどおり「徹子の部屋」への出演を果たしました。

 

 

「思い描いていたとおり、番組では笑顔で手術跡を披露させていただきました」

 それから10年が過ぎた今でも定期検査を怠らないと言います。

 

「あとで聞いたのですが、私のケースでは、5年以上生きられる生存率は2%以下だったそうです」

 

まとめ

 

現在、小西 博之(こにし ひろゆき)さんは年に100回もの講演会を行い、ガン患者を勇気づけています。「ガンは3人に2人は治る病気。よく『闘病』という言葉が使われますが、水虫やイボと一緒で、人間が闘う相手ではありません。ただ、医療費の面でアドバイスするならば、ガン保険への加入はお勧めします。先進医療で1000万円なんてザラですから」 1人でも多くの命を救うために──小西さんとガンの闘いは現在も続いています。